ヒールも担った名脇役キョウエイボーガン、32歳となった今も元気
競馬の展開のカギを握る馬として馬券検討するうえで重要なのが逃げ馬の存在でしょう。
古くはツインターボ、サイレンススズカなど、個性派の大型逃げ馬が存在していた中央競馬ですが、最近では生粋の逃げ馬が減っている印象があります。
競りつぶされて大敗というシーンも多い脚質、かつ馬群にもまれると脆さが露呈する繊細さもある逃げ馬だけに、厩舎サイドとしても馬群で我慢する競馬で安定感を見出したいというのはわかりますが、この馬が逃げるとわかっている競馬で鮮やかに逃げ切られたときの爽快感のようなものは最近失われつつあるように思われます。
そういった意味で競馬のオールドファンには印象深い1頭であるキョウエイボーガンに今回は注目してみました。1992年の中日スポーツ賞4歳S、神戸新聞杯と重賞2勝を挙げたキョウエイボーガンですが、無敗の3冠がかかるミホノブルボンが出走する菊花賞の展開を読むうえで重要なキーとなる役割を担うことになりました。
坂路調教の鬼といわれたミホノブルボンを抑えて本番の菊花賞で2週目の3コーナーまでハナを譲らなかった競馬は、今でも印象に残っている競馬ファンは多いのではないでしょうか。
重賞2勝という戦績ながら種牡馬としての需要がないまま廃用になりそうな空気の中、岡山県に住む主婦である松本かおりさんに引き取られたことをきっかけに運命が変わりました。
競走馬としては長寿といえる32歳に今年なりましたが、今でも引退名馬繋展示事業とともにフォスターペアレントと呼ばれる里親として、今も余生を元気に過ごしています。
ウマ娘プリティーダービーの人気の恩恵も受けて、ミホノブルボン、ライスシャワーの戦友としてキョウエイボーガンのもとを訪れる若者の競馬ファンも着実に増えているとのことで、ミホノブルボンのファンからすれば天敵と思える馬だったかもしれませんが、たくさんのファンに支えられながら悠々自適の生活を今も送っています。