【馬ニアな話】爽快な豪脚
もしも自分がサラブレッドなら、どんな脚質だろう?と、考えてみた。先頭に立って引っ張って行くような人望は無いから逃げではない。かと言って、後方からのし上がるような技量も体力もないので、追い込みでもない。ならば、昨今流行りの好位から進み、終いでケリをつける自在型か?とも思ったが、生粋の不器用人間なので、流れに乗るなんて高度なことは出来ない。この様な思案を暇に任せてグルグル巡らせた結果、ダメ人間街道を、ライトオも驚くスピードでひた走る自分を、サラブレッドに置き換えるのは無駄なことだ、という結論に至った。サラブレッドは憧れの存在で良い。
憧れの存在として彼らを考えると、私は追い込み脚質の馬達に惹かれてしまう。もしかしたら届かないかもしれない。けれども、己を貫き終いに賭ける姿は、ヒーローの様な格好良さがあると思う。
ブロードアピールという馬がいた。父Broad Brush、母Valid Allureのアメリカ生まれの牝馬。GⅠタイトルはないけれど、同じ服を纏い、英雄と称えられたあの馬と同じくらいアピールの名前は広く知られている。彼女の脚質は追い込みだった。それもただの追い込みではない。一度ハマれば、どんなに前と差が開いていても、確実に差し切る驚異的な脚を持っていた。ただ、デビューから0か100のスリリングな末脚を武器にしていた訳ではなかった。鬼脚、豪脚という言葉と共に語られる様になったのは、2000年の根岸Sからである。
秋晴れの府中で行われた、第14回根岸S。当時は、公営からの挑戦も盛んで、この根岸にも、牝馬ながら栃木3冠を達成した宇都宮のベラミロード、名馬と名手の郷、東海地区の名古屋からゴールデンチェリー、クリールスペシアルが参戦。一年前の冬、全国の公営競馬に夢を与えた水沢のメイセイオペラに続けとばかりに、彼らも勝つ気で挑んできた。
対するホームの中央勢は、後に全国行脚を敢行し、各地の競馬場で重賞レースを勝ちまくるノボジャック、後藤浩輝に一瞬夢を見せた3歳馬トーヨーデヘア、真っ白になったいぶし銀ワシントンカラー、2着を3.1秒突き離し初勝利を挙げたエイシンサンルイス…。そんな中央、公営両団体の手強い連中を抑えつけ、一番人気に支持されたのがブロードアピールだった。鞍上は武幸四郎。兄貴はよく天才と言われる一方、弟の幸四郎はいつ来るか分からず、何をしてくるかもその時にならないと分からない恐怖を持っていた。兄が天才なら、弟は奇才だと私は思う。
好発を決めたベラミロードがハナを切り、ついで同じく公営のゴールデンチェリーが続いた。ここにエイシンサンルイスを加えた3頭がレースを引っ張り、4番手集団は5頭が密集する隊列。息の入らないタフな流れだった。先頭から後方まで、忙しなく追走する中、ブロードアピールは、我関せず。最後方を黙々と走っていた。ベラミとチェリーが先頭のまま最後の直線へ。内からエイシン、更には間を突いてノボジャックも脚を伸ばす。4番手以降の馬達は、伸びない。前を行く4頭が、ジワジワとリードを広げにかかったその時だった。
7、8馬身離れた大外位置から、奇天烈な勢いで伸びてくる馬が現れた。エンジン点火。伸びを欠く白い老雄、ワシントンカラーの横を、光の速さで通過したブロードアピールは、異次元へワープでもする様な末脚を発揮した。一頭、また一頭と交わすたびに、届くかもしれないという希望的観測から、これは届くぞ!という確信へと変わっていく。私は、この時ほどジョッキーという職業が羨ましいと思ったことはない。外から見ていても爽快なのだ。きっと馬上では、その何百倍の爽快感を味わえたに違いない。
坂を上ったブロードアピールは、エイシンサンルイスとノボジャックを完全に捕らえた。ラスト150m。豪脚女史が懸命の粘り込みを図る野郎達を遂に飲み込んだ。ここからがまた凄い。キッチリ交わし去り、最後は1馬身と1/4の着差を付けたのだ。ハナ、クビの小差ではない。全く末恐ろしい馬である。
この根岸Sの衝撃は世界へ伝播している。私は某SNSにて様々な国の競馬ファンと交流しているが、度々ブロードアピールの話題が出る。イギリスのファンも、南アフリカのファンも、異口同音に「なんだあの馬は!」と驚く。その度に私は、関係者でも何でもないのに「凄い馬でしょ?」と、誇らしい気持ちで彼らに自慢している。
現在は母として暮らすブロードアピール。今のところ、自身を彷彿とさせる様な産駒には恵まれていない。今年で23歳。現役時代、活躍した牝馬の子供は走らない。という嫌な格言が現実味を帯びてきているが、見限るのは早い。いつになるか分からないけど、ブロードアピールは必ず追い込んでくる。彼の国のファンと同じく、なんや!あの馬は!?と驚き、馬柱の母馬欄、或いは血統表を見て、ブロードアピールか!と、腰を抜かす日が訪れると信じながら、私は競馬場で待ち続けたい。